13 Oct 2022
こんにちわ。絹川悦逢(えつほ)です。
今日は小学校の頃の思い出としての
女性の校長先生について、です。
今は女性の校長先生は
珍しくもないことですが、
昭和50年頃の小学校に於いては
全国的にもまだ、
あまりいなかったのではないでしょうか。
たぶん私が3年生になったころ、
その女性校長は赴任していらっしゃいました。
明るめのスーツを着ていたと思います。
朝礼台に上がって挨拶をしてる姿は
キラキラと輝いて見えました。
自分の母も祖母も働く女性だったのですが、
なんか違う…(;・∀・)
「お化粧をして綺麗なお洋服を着ている」
というのは、子ども心に、
それだけで何だか嬉しくなったのでした。
そして、その校長先生が来てから、
普段やることや、行事などが
どんどん変わっていったことを覚えています。
本当に『仕組みづくり』が上手でした。
もしかしたら他の先生が考えたことだったのかも
しれませんが。
今思い出してみても…
例えば①
「バス下校」
…これ、バスで下校するわけではないんです。
地域別にバス停そっくりな時間案内の書いてある
模擬バス亭が校庭隅に作られて、
下校の時間が決まってるのです。
それに合わせて、
家の近い人と一緒に学年関係なく、
数人で一緒に下校、自宅へ並んで帰る。
もうひとつ②
「なかよし清掃」
…これは、朝掃除をするのですが、
小1~6年まで、昇順に各学年2人くらいずつ、
6年生までチームが作られるのです。
(6年生がリーダーとなる仕組み)
なのでだいたい1チーム12人くらい。
6年生の時には1年生の子が可愛くて
抱っこやおんぶしていたような気も…(;^_^A
他にもたくさん、
こういった「仕組み」によっての
小学生時代の思い出はたくさんあります。
その校長先生との思い出も。
中学や高校の校長先生のことは
全然覚えていないんですが…(;’∀’)
この女性校長だけは
今もずっと覚えているのです。
それはそれは、その時代、
女性が校長をやるのは
大変だったのではないかと思います…
おそらく今の私と同じ
50代だったのではないかな。
でも、キャリアウーマン!てな
かんじでもなく、穏やかで、
それでいて確実に学校を変えていった
先生でした。
大人になった今の自分の目で
あの頃の校長先生を見たら
どんな風に見えるのだろう?
「友達になりたい」と思うのかな。
自分も40年以上経っても
人が思い出すことのできるような
仕事を成し遂げて残りの人生を全うしたいな、
と思います。
ではでは、また。